文字はぼかせても意味はぼかせてない

最近よく、テレビのバラエティ番組の最中にボカシ処理がされてますよね。あれって目立つからついボカシのところばかり見ちゃいますよね。

ちょっとしたインタビュー映像とかで、出演者が飲んでるペットボトルがスポンサーとは別のメーカーだったりしたら、まあ隠したいと思うのも仕方ないと思うんですよ。伊右衛門が美味いっつってる番組で生茶飲んでたら隠したくなるだろうな、と。それは許せる。
でも自動販売機を執拗に隠すの何なんですかね。真っ赤な自動販売機がぼかされてたら、そりゃコカ・コーラだろと誰もが思う。結果的にコカ・コーラだけが印象付けられると思うんですよ。コカ・コーラが印象付いた後、CMの時間になった時に「どれどれ、さっきコカ・コーラを隠そうとしてたのはどこのどいつだい?」なんて目線でCMを見る人はいない。「今日の番組ではコカ・コーラが隠されていたな」ということしか覚えてない。

あと、番組の最初と最後、スポンサー紹介のテロップの際に、スポンサー表記の文字以外をぼかす風潮あるじゃないですか。あれもボカシばっかりに目が行っちゃいますよね。本当に意味ないと思う。

だって、ワールドプロレスリングなんて、「提供 ブシロード」って文字の後ろに位置する文字はぼかして消してますが、画面両端の柱に「次週IWGP戦 オカダカズチカVS小島聡!」ってタテにデカデカと表記してるわけですよ。来週の予告を目立たせて来週も観てもらいたいんだと思うんですけど、やっぱりボカシにしか目が行かないですからね。

ぼかす理由はスポンサーへの配慮。これはもう制作側も視聴者側もわかってるわけですよ。スポンサー側はぼかして欲しいなんてひとっつも思ってなかったとしても。だから、ぼかす代わりに、スポンサー名をはっきり書いた画像を画面に浮かばせりゃいいんじゃないですかね? ぼかしたらそっちに目が行っちゃうんだから、どうせなら図々しくはっきりスポンサー名を印象付けた方がいいんじゃないかと。

全然関係ないですが、番組の最初と最後のスポンサー表記、今はまだ単なる白文字をスーパーインポーズ的に載せてるだけの番組多いですが、2014年はいっきにフルカラー・アニメ付きに塗り替わる気がしています。そんだけ。

なぜブログを書くのか

ブロガーサミット2013で登壇者に対して「あなたにとってブログとは何か」という質問が何度も繰り返されたんですが、俺と同じように考えている人がいなかったので意外に思ったんですね。ブログに関わること自体をマネタイズしている人ばかりだからかもしれません。

「あなたにとってブログとは何か」という質問は、ブロガーに対して向けた場合「なぜブログを書くのか」とほぼ同義になると思うので、「なぜブログを書くのか」という点について書きます。

もちろん、登壇者からも出ていたように承認欲求はあります。コミュニケーションツールとしても重用されていると思います。でも俺にとって「なぜブログを書くのか」の答えは「インターネット上にアーカイブすることに価値があるから」です。ものすごく極端な言い方をすれば、「いいエントリを書くことで、歴史を自分の思ったものに引き寄せたいから」です。

そのキーワードでGoogle検索した時には、自分の書いた文章に行き当たる。これが大事なんですよね。Googleをひとつの辞書として、その一部分を自分が作っているイメージ。「そのキーワードで検索しても何も出てこなかったらイヤだな」と思う事柄については、自分で書いてちゃんと置いておきたい。

これってWikipediaの編集に参加するのと同じように見えて全然違う。だって書いてある内容はあくまで俺・俺・俺の、承認欲求丸出しの文章なんですから。でもそれでもかまわない。読む側も「これは中立な視点を目標に書かれたWikipediaではなく、個人ブログのエントリである」ということがわかっているから。Wikipediaに載ってるのは事実のみで、感情、ノリと勢い、そうなっちゃったくどくどとした言い訳みたいなものは載らないのです。

事実を書く。自分の感想、意見もあわせて書く。その事実を知りたいと思った人が検索してたどり着いたエントリを読んで自分の考えを知る。熱量を感じる。これを積み上げていくことって「歴史を自分の思ったものに引き寄せる行為」だと思いませんか? 少なくとも、検索して何もヒットしなかった時よりも。

検索して出てきたエントリを読む時、それを書いてる人が俺(実験40号)であるかどうかってどうでもいいじゃないですか。「この人どんな文章書いてるんだろう(もっと知りたい)」なんて思うこと本当に皆無。「書いてる人」を軸にして興味を持たれるなんて、有名人以外にはありえないことなんですよね。

「書いてる自分」を軸にして考えちゃうと、もっと有名になりたいとか、更新するたびにすぐ見てもらって反応が欲しいとか考え過ぎちゃうわけです。でもGoogleって辞書の一部分を作ってるつもりになったらそういう欲求もちょっとは落ち着くものなんですよね。

自分の書いたものをインターネット上にアーカイブするということは、自分という本体から切り離して、バラバラに切り刻んで放流するみたいなものです。その欠片に出会って、「書いてる人」にたどり着いてくれる人なんてごく少数。でも人と人との出会いって、そのぐらいの頻度が限界なのかも、なんて思うんですよね。

感じたことを推敲せずにただ放流するならtwitterだのLINEだのでやるのが向いていると思います。そういう場が揃った今だからこそ、ブログのエントリを「後から検索した時にたどり着いてもらえるページ」として考えるって視点は、わりと重要なんじゃないかなーと思うんです。

これからも歴史が積みあがっていくにあたって、過去を紐解く際に「検索してみる」という選択肢があり続けるなら、ブログのエントリをアーカイブしていくことは、人間らしく誇り高く明日をこっちのペースに巻き込むことに繋がるんじゃないかと思ってます。

LINEに乗り切れていないぼくの戯れ言

「どうにもLINEに乗り切れなくて」と友人に言ったら「乗り切れないんだったらインターネットやめろ」と言われたボクです。そんなことでネット全部をやめなきゃいけないの!?

LINEってたしかにものすごく手軽で、一度使うとメールでのやりとりが重たく感じちゃいますね。とくに言葉を選らずにイラスト(スタンプ)だけでやりとりできるっていうのは感覚的でとにかく手軽。「文章に頼らずよりプリミティブな意思疎通をはかる」というのは新しいような、逆にある意味で退化してるような、不思議な感覚ですね。

特筆すべきは3人以上でのトーク。あのチャット状態の臨場感は同報送信でのメールじゃ味わえないですよね。発言してもしなくても楽しいあの感覚は久しぶり。途中からスタンプのみの応酬。「いかに全く無関係なスタンプを出すか」って判断基準だけで競ったりね。

スタンプって面白くてまさにLINEの醍醐味なわけなんですけど、だいたい有料なんですよね。過去、eメールだったらネットで拾ってきたおもしろ画像をそのまま添付することができたし、相手から届いた画像をそのまま流用することもできたわけじゃないですか。でもLINEのスタンプじゃそれはできない。スタンプってものを初めて受け取った時の感想は「……保存できねぇ! ケチケチしてやがる!」でした。

ところがこのシステム、ぜんぜん受け入れられてるんですよね。今、流行のイラストを1セット入手できるなら100円ちょっとの決済なんて、若い人たちは全然抵抗がないみたい。たしかにネットで検索して拾ってくるとか、テメェでちまちまGIF画像作るとか、ネットに毒されきったオッサンのやり口ですよね。100円ちょっとのものをオフィシャルで買う方が全然話が早いし面白い。コンテンツビジネスとしても成功してそうな気がする。

俺も有料スタンプ一度だけ買ったんですけどね。LINEってアプリ自体の仕組みに関する、過去あった噂話とセットで考えちゃうもんで……どうにもこうにも個人情報(決済情報付き)を提供するのに抵抗ありましたね。結局買ったんですけど。

そういう考え方していくと、どうにもLINEって「使ってる」というよりも「間借りしてる」っていう印象が強いんですよね。何一つ自分の管理下にない感覚。

一人の相手とずっとやりとりしているとログがどんどん長くなって、1か月前のやりとりなんて全然追えないじゃないですか。通信しないとログが降りてこない。これって、最近の若い恋人たちは納得してるんでしょうか。

俺がまだ若かった頃……ケータイのメールで、意中の相手と、ハートマークいっぱいのやりとりをしてたわけですよ。相当昔の話ですけど。今の若い人たちはそれをLINEでやってるんでしょう?

例えばクリスマスにね、クリスマスツリーの絵文字がいっぱい並べられて、それで大きなクリスマスツリーを描いてみせたメールとか受け取ったりしてたわけですよ。あるいは俺への気持ちがいっぱいいっぱい詰まった、長い長いメールを送ってもらったりしたわけですよ。そういうメールはちゃんと「保護」をしてね、他のメールが何百通届いても消えないように守ったりしたもんです。そんで、どうにも気分が滅入ってしまった夜はそのメールを読み直したりして、現実逃避したり気持ちを切り替えたりしてたわけです。そんな思い出。

LINEで日々やりとりしてる恋人たち、今はそういうの、ないんですかね。あの時相手がかけてくれた嬉しい一言、優しい言葉、愛の告白。いつでも見たい時にさっと見られるようにしておきたい、とか無いものなんでしょうか。そのたびに通信してログを追いかけてるんでしょうか。キーワード検索もできないのに! それとも画面を撮影して画像にして保存したりしてるんでしょうか。

この2013年にね、ログが検索できないソフトとかって考えられます? 俺にゃあ考えられなかった。意図的にそれを避けてる仕様としか思えません。ログの切り出しや保存が便利にできるクライアント、絶対に需要があるはずなのに登場しないっつーのは、LINE株式会社が絶対にそれをさせたくない、何もかもを自社ソフトの管理下でのみ行ないたいっていう強い意志があって抑えてるですよねきっと。ログを利用させないぞって。

ICQ隆盛の時期にICQも網羅できるOdigoが登場したみたいに、mixi隆盛の時期に非公式モバイルmixiが登場したみたいに、LINEのログを乗っ取っちゃえるクライアントアプリがありゃあいいんですけど。

そういうユーザーサイドに便利なことも自由にできる似たようなアプリもこれから登場するかもしれません。でもこれほどまでにLINEが普及してしまった世の中で、今更新しいアプリが出てきても皆乗り換えることはないのかなぁ? commもハングアウトも流行らないし。今更移行しろっつっても無理? いやー、こんなリニアなログでも文句言わないようなユーザーがほとんどなんだとしたら、あっさりログ捨てて乗り換えたりするのかしら? mixiがこんなに廃れる日が来るなんて思ってなかったから、これから何があるかわかんないですけどねぇ。

わかってるのは相変わらず俺が(オジサンであるところの俺が)、どうにも旧時代のセオリーにがんじがらめで、新しい技術に乗り切れないんだよなーってことだけです。その点だけは相変わらずです。

シニア向けケータイのカワイイ機能

母親がケータイをドコモからauに変えたんです。機種もらくらくホン4から簡単ケータイK012に。

俺自身は去年スマホに変えて以降やっぱり便利でもうケータイには戻れないと思ってるし、シニア層こそスマホインターフェイスが合致していると思ってます。母親も一度はスマホにしてみようかショップで相談したらしいんですが、最大のハードルになったのは通信料とのこと。いわく「そんなに使わない」と。たしかに通信料を従量制でやりたいならスマホは向いてないですよね。

っていうか、今さら通信料を従量制にして、使った分だけお金を取ってやろうって考え方、どうなのかねぇ。もちろんものすげー大量にダウンロードしまくる人には追徴していいと思うけどさ。ある一定の通信量まではみんなにお安くでいいんじゃないのかねぇ。ま、そう考えると「固定電話だと遠くの人への電話は値段が高い」とか、劇的に時代遅れな気がしますね。閑話休題

au簡単ケータイK012に、俺的に気になる機能がありまして。ワンタッチ絵文字機能。
http://www.kyocera.co.jp/prdct/telecom/consumer/k012/function3/
メール本文を書いた後、OKボタンを押すと「おまかせで絵文字を挿入しますか?」って尋ねられるんです。「挿入する」を選ぶと、本文全体に絵文字がちりばめられる。文中に使われている単語を拾って、いい感じに絵文字を挿入してくれます。装飾度合いを強めにすると、絵文字が踊り出します。

「えっ、それでいいの?」「っていうかそこまでして必要?」とか思っちゃうんですが、妙齢の女性にとって、どうせなら見た目を可愛らしく仕上げたい、でも言葉に応じていちいち絵文字をセレクトしていくのはしんどい、という需要があるみたいなんですよね。なるほどなぁ。ぶっちゃけ俺も面倒で、絵文字なんてほとんど使いませんが。

とにかくその機能が試したくなって、母親にお願いしてケータイを借りて、その機能を使わせてもらいました。しかも文章はビジネスメールっぽく、取引先の担当者宛というテイででっちあげてみました。

いくつになってもやっぱり可愛いと思われたい母親。いつまでも元気で長生きして欲しいです。……あ、とってつけたみたいになっちゃいました?

「音楽メディアってなんだ!? - 鹿野淳×大山卓也トークセッション」のtogetterまとめを読んで

音楽メディアってなんだ!? - 鹿野淳×大山卓也トークセッションのまとめ
http://togetter.com/li/492025

俺も便乗して何か書いてみたい。残念ながら俺は会場にも行けなかったしUstreamも観てないので、考えたことだけ。

1個1個の情報としては全く同じものが発信できると思うんですよね。情報の内容に優劣がないわけだから、あとは機能性とかの話になる。エコだし、場所とらないし、検索できるし、webの方が機能性は高いと思う。速報性は……俺はあんまり重んじてないところあるけどね。「その方が話が早い」ってのに大きなバリューを見出せてない。

web上の情報って、これ以上ないぐらい情報が切り刻まれてるから、エディターの意思みたいなのは反映されづらいんですよね。連番のエントリーだろうと同じディレクトリに置いてあろうと「次のページへ」でリンクされてようと、やっぱりweb上のコンテンツってバラバラだと思う。バラバラだし、そこに意味があると思う。

結局エディターの意思を反映させようとしたら、バラバラにさせない、パッケージングが必要なんだよね。月刊誌を月に1回、表紙つけて目次つけてまとめて出すってのはまさに意思、だよね。バラバラじゃなくて出したいという意思はwebのスピード感と対極にあるもんね。そのエディットには絶対意味があると思う。納得の取捨選択を感じたら、そのエディットのファンになれると思うし。

そういうの、全く要らないでしょうって人には要らないし、愛情が注げる人は注げる。全くの平行線だし、それでいいと思うし。どっちかがどっちかを論破して改心させることも不要だと思う。決定的な事実誤認があるならそれは訂正すべきだけど。

ついでに超個人的感想も書いちゃいますが、ナタリーは無機質に徹した情報の集積場なんかじゃなくて、ちゃんと編集された、場合によっては情緒たっぷりのパッケージングになってるような気がするけどね。記事も、取捨選択も、デザインも特集も。ナターシャの人が作っている部分より外側の部分も含めてナタリーだとも思うし。


俺にとっての情緒的なエピソードをふたつ。

子供の頃、「将来は雑誌編集者になる!」って言ってた時代があったんですよ(本当)。漫画家になりたいって言ってた時代の次は雑誌編集者だったと思う。パソコン雑誌が好きで……LOGiN、POPCOM、テクノポリスコンプティーク。買った雑誌を、何度も何度も読み直してたんだよね。あれはもう、雑誌じゃなくて書籍の扱いだったと今は思います。だから、ものすごく愛情があったよね。こういうものを作りたいと思ってた。

それから15年20年たってインターネットが発達して、「同じ文章が書いてあるものを何度も読んで愛でる」って行動をしなくなってしまった。なので「紙の媒体は愛し抜いたことがある、web媒体にはそれがない」ってのは事実としてありますね。これは自分の年齢と経験の問題で、今の若い人にはweb上の文章を何度も読んで愛でるって経験をやってるかもしれん。

もう1個は「雑誌を捨てる」ってテーマ。web上に細切れになって置いてある情報は自分のものじゃないけど雑誌は自分のものだからね。物理的に自分の管理下じゃない?

ある日、あまりにも邪魔だっつって業者にスキャンしてもらって捨てたわけですよ、雑誌を。でもそのスキャンした雑誌は、本当に読まないよね。データは不思議と読み返さない。本棚に差してある、スキャンしてない雑誌は……ふと手に取るんだよ! 目に入ると。所作としてはどっちも全然労力じゃないんだけど、エクスプローラをたどってpdfをダブルクリックする気にはならないけど、古雑誌はパラパラめくろうかなと思う。不思議。

なんでだろうね。これは情緒的というよりはもっと本能的、肉体的な何かなのかもしれん。わからない。


mixi日記用に書いてた文章を推敲無しでこっちに載せちゃうので、後からちょっと書き直すかも。後日ニュアンスが違ってたらごめんなさい。

スマホ充電器の待機電力

俺の使っているdocomoスマートフォンXperia acro HDは、充電を終えてクレイドルから引き抜くと、必ず以下のような通知を表示する。

省エネルギー
省エネのためコンセントからも充電器を抜いてください

省エネの為、クレイドルに繋がってる電源ケーブルを毎回コンセントから抜いてくださいね、という意味だ。省エネは大事だけどなかなか面倒でアドバイスの通りに対応できない。
どうせなら省エネの効果も表示してくれればいいのに。

充電器をコンセントに刺した状態の待機電力は、12時間で約○ワットになります。
これは平均的な32インチの液晶テレビでの番組視聴で使用する約○分間分の電力に相当します。

ってね。

この企画誰かもらってください

写真が選べる、選択肢式恋愛ゲームアプリ。……いきなり意味不明ですけど。

「AKB1/48」ってゲームのハロプロ版があったら絶対やりてぇなぁ、でも出ないだろうなぁと思ったのが発端です。アイドルの女の子と恋に落ちるシチュエーションのゲームがあったらやりたいけど、無いじゃないですか。ゲーム自体はあったとしてもそれが俺の好きなアイドルの子とは限らない。でもゲームの内容、ストーリーが、出演してるアイドルの女の子じゃなきゃダメかっていったらそうでもないに決まってるんですよ。所詮、表示される写真と、ト書きの前に表示される名前んトコに好きなアイドルの名前が書いてあれば、それなりにその気になれる気がする。

SS(ショートストーリー)って呼ばれる同人創作の世界には、多分存在すると思うんですね。自分の妄想を具現化した、アイドルの子が実名で登場して、自分と恋しちゃうような同人小説が。その小説の登場人物の名前が、自分と自分の好きなアイドルの名前に挿げ替えられたらそんで成立しちゃうような、そんな気もしたりして。

じゃあそういうゲームをスマホ用のアプリで作っちゃえばいいんじゃないかって思ったんです。場面ごとに現れる選択肢を選ぶことで進んでいく他愛も無いラブストーリーがあって。ゲームの最初で主人公(自分)の名前を入力するって手順があるわけですが、その時にヒロインとなるアイドルの名前も入力できる。ストーリーはそこで入力した名前が表示されつつ進んでいく。で、他愛も無いすったもんだがあってハッピーエンドって、そんだけのゲームですよ。

でも文字だけじゃ味気ない。だから写真が表示されるわけですが……ここがミソ。写真は最初の手順で入力したアイドルの名前から、Google画像検索した写真を引っ張ってきて表示される仕組みなんです。アイドルの名前+そのシーンのキーワードで検索された画像が、自動的にセリフと一緒に表示される。

プレイヤーはその時、シーン、セリフとその画像がイメージにあってると思ったらそのまま話を進めればいいんです。「おっ、ホントに○○ちゃんの画像が表示された」なんつって。でも実際には、ストーリーに合致した写真が表示されるとは限らない。その時、プレイヤーがこのゲームをよりよくしたい、プロデュースに参加したいと思うならば「写真のチェンジ」に参加することができるわけですよ。自分の許せる写真がGoogle画像検索で表示されるまで、何度でもチェンジできる。納得したら「この写真でOK」を押して、改めてゲームを進める。そんだけ。

たくさんのプレイヤーが選んだ写真がどれだったかって情報はサーバーに記録されて、多数決でそれが表示されるようになる。だから皆が選べば選ぶほど、そのシーンに違和感のない、納得の写真が選ばれるようになるわけです。……楽しくないですかこれ。仕組みはGoogle画像検索ですから、アイドルに限定する必要なくて、アニメの二次キャラクターでも、女子アナでも、同じことができると思います。

アプリ自体は簡単な枠組みとしてあって、ストーリーは投稿で受け付けるんですよ。なんかそういうの応募するの好きな人いるじゃないですか。写真はGoogle画像検索に頼るわけですが、「うちのアイドルの写真どんどん使ってください!(プロモーションになる!)」とか言い出す事務所もあるかもしれないし。ストーリーの流れでスポンサーサイトちょっとした買い物を誘って、通信料金と一緒に決済できてみんなニコニコ、みたいな。おお、ビジネスになりそうな気がしてきた!

っつーことで誰かこんなアプリ作ってください。