見てるものの奥にいつもうっすらリリー・フランキーがいた

見てるものの奥にいつもうっすらリリー・フランキーがいました。

最初に感じたのはコラムでした。若い頃J-POPやアイドル歌謡曲しか聴かない俺でしたが、最も仲の良かった友人はグランジやらブリットポップやらを愛聴していました。インターネット遊びがなかった当時は主な情報源のひとつがロック雑誌で、彼らが好んで読んでいた雑誌が「CROSS BEAT」でした。リリー・フランキーはそこでコラムを書いていました。友人はインタビュー記事に関して話題にすることはほとんどありませんでしたが、コラムで笑った話はよくしていました。

次に感じたのはコラムをまとめた書籍でした。当時つきあっていた恋人がリリー・フランキーが大好きで、コラム本が出るたびに購入しているようでした。面白いからと貸してよこしてきたので俺も何冊か読みました。部屋に戻ったら見知らぬ気違いがベッドの上でぴょんぴょん飛んでいて、話しかけると開口一番「俺、感動してんだぁ!」と答えたというエピソードを記憶しています。

その後、過渡的にいろんな場所でリリー・フランキーの名前を見るようになりました。コラムニストかと思っていたら多才な人のようで、本当にあちこちで名前を見ました。結婚して奥さんが持ってきた本のうち一冊が「東京タワー~」でした。残念ながら俺は未だに読んだことがなく映画も観ていません。俺が買い集めているCDのうち一枚は、安めぐみとのユニット、リリメグの「おやすみ」でした。女優の歌うアイドルソングが好きなのですがこの曲の印象はあまりありません。

「俺の見る景色の向こう側にいる!」と決定的に感じたのは、つんく♂の上京のツテがリリー・フランキーだったと知った時でした。東京に来た時のつんく♂リリー・フランキーしか拠り所がなかった! 自分の肉体の何割かはつんく♂の創る音楽でできていると断言する俺にとって、裏にリリー・フランキーが居たと知ったのは衝撃でした。シャ乱Qのアルバムジャケットを担当した程度だと思っていたからです。

その後も、俺の好きなものの裏にうっすらリリー・フランキーがいると感じることは多数ありました。リリー・フランキー吉田豪指原莉乃ハロプロやそのほかについて語るテレビ番組「真夜中」は印象深く観ていました。トークの内容は全然覚えてないんですが、ハロプロのこと知ってそうで知らない、知らなさそうでハズしたことを言わない感じが絶妙だったのは覚えています。「真夜中」という番組はその回しか観ていないんですが、タイトルからスタッフロールまで、リリー・フランキーの縦書きの手書きで、とても達筆なだけでなく俺の好きなタイプの筆跡だったもので、あの字ばかりが強く頭に残っています。

映画「モテキ」でタクヤさん役をやったのもリリー・フランキーでしたっけ。すごいなあの人。なんかすごい。映画は観てなくてすみません。

俺の好きなアイドル、アンジュルムのメンバー竹内朱莉さんは「おでんくん」と呼ばれています。そう、リリー・フランキーのキャラクターです。

これまでずっとなんやかんや距離を保ってここまで来てしまったので、今さら彼の作品に近づくことに気後れしていたのですが、映画「凶悪」という作品が素晴らしいということだったので、ならばそれは観なくちゃな……と思っていたところにピエール瀧の逮捕がありました。もの凄くびっくりした。そしてネットで見掛けたゴシップ記事に「次に捕まるのはサブカルの大物」というのを読んで、勝手にこれはリリー・フランキーのことなのだなと決め付けて、逮捕された後にこのブログを書くのも馬鹿みたいだと思うので、それで今これを書いています。宮藤官九郎かもしれないけど。

つんく♂のツテがリリー・フランキーだって知って、尖ったところある、ぐらいのコラムニストかと思ってたら全然違った、才能と人脈のもの凄い人だったんだと知って、それからずっと妄想を膨らませている俺です。

芸能界というのは……テレビや映画だけでなく、そこに関わるステージや文筆関連まですべて含めて……人脈ありきのものなのだなぁとしみじみ想像しています。それこそ「六本木野獣会」みたいな、それこそサロン的な、特定な場所自体は存在しなくても、プロダクション的な括りでなかったとしても、全体に影響する人脈、ネットワーク的なものが存在するんだなあ、と。例えば武井壮とかはるな愛とか、テレビの人気者になるずっと前から芸能界のビッグネーム達と古くからずっと懇意にしてたんですよね。テレビの有名人になる前から継続的に仲良くしていて、脚光が当たるのを順番待ちしていた印象。もちろん、同じように人脈の中にいても最後まで脚光が回ってこない人も居るんでしょうけど、一度認知されてしまえばテレビの画面から消え去ることはない。だって人脈の中の人なのですから。

前に「R-1ぐらんぷりで優勝しても、それがコンビの片割れでなく生粋のピン芸人だった場合、テレビにはあまり出て来ない。なぜなら生粋のピン芸人は人脈に属するのが苦手でコンビすら組まない人たちだから」と書いたことがあります。あれも同じ。AKB総選挙で順位が高いわけでもないのにずっとテレビに出てる峯岸みなみとか。あれも同じだと思う。

じゃあその人脈に入るために何が必要かといえば、言ってしまえば「才能」なんですけど、それは何かの分野で突出してるというよりはバランスによる魅力なんだろうなと思います。平均と比較したら抜群の頭の良さ、勘の良さを持っていて、自分の役割を知っていること。タイミングを間違えないこと。そして、人脈に対して強い誠意があること……などでしょうか。もちろん一般人と比べたら格段に高い才能なんですが、知識量とか発想力とか、なんらか定量的に評価しやすい力とは別の、その人個人の持つ才能、魅力みたいなものがあるんだと思います。……どこまで言っても俺の考える勝手な妄想ですが。

この人脈の中に居て誠実に努力をしていれば、それこそチャンスも、食いっぱぐれない仕事も、あるいは非合法側の物品も、安定的にまわってくるのかもしれません。それが羨ましいとかズルいとかでは全くなくて、そういう、俺の生きてるサラリーマン社会と違う世界、人脈で成り立っている世界があるんだろうな、という想像をしたという話です。リリー・フランキーという人は俺の考えるそういう人脈の世界の、かなり真ん中に近い場所に居る気がするという、なんかそういう妄想の話でした。

良いとか悪いとか、そういう話ではないです。

2015年に政治的な意思を表明するということ

大阪都構想の選挙の時、「おじちゃんおばちゃんまで『あなたはどっち派だ』ってなった」って話を聞いて、怖いと思っちゃったんですよね。具体的には、できれば職場に政治的な話題を持ち込みたくないと思った。「おまえどっちなんだよ」って言われたくない。「どっちでもいいですよ」「わかんないです、考えたことないです」とか阿呆な答えの方がよっぽど楽で賢いじゃないか、と思ってしまうぐらいに。

安保法案の話、ニュースで見ているとなんだか不安だ。でも俺自身、賛成反対どっちと言えるほどの確信がありません。強制採決はダメだ、議論が足りない状態で進めてはならないとだけは思うけど、もしかしたら本当は急がねばならない理由があるのかもしれない。今更自衛隊を解体すべきと主張するのは無茶だと思うし、集団的自衛権の行使を容認することで即戦争だと大騒ぎする人は極端だと思うけれども、戦争放棄って言い切ってる憲法を持つ国・日本を誇らしいと思う気持ちもある。政府がどんな法律を押し通そうと、いつの日か憲法が改正されようと、日本人は昭和時代のような戦争に参加しないだろう、少なくとも俺は参加しない、という気持ち(自信)はあるけれども、だからといって今の安保法案にイエスともノーとも言えねぇなぁ俺の場合は、君はどうだ? というのが今の俺の状態です。

ただ、なんとなく、デモに参加して国会のまわりを取り巻いて、「何万人でした」っていう結果の一部として参加することが、今の俺のやるべきことだとはちっとも思えない。参加してる人たちの気持ちもわかる気がするけど、参加した途端に、別で参加しているちっとも同意できないタイプの人たちと同じ扱いになっちゃう気がして、同じように考えている人ですってレッテル貼られちゃうのってつまらないことだと思わないかい、って思ってしまって、総じて「デモは違うなー」というのが俺の意見です。中途半端なハンストなんてもってのほか。

デモ以外になんかやるべきこと、ないのかな、と。こんなブログでインターネットの端っこに戯れ言書く以外に何かやることないんですかね。

政治家っていうのは選挙でとっかえられるわけだし、所詮は党意に縛られる存在なわけで、国民の意思を反映させやすいと思うんですよ。それに比べて官僚と経団連は、なかなかその強大な力に待ったをかけられない。例えば原発再稼働は、経団連の圧力が強いなんて噂聞くじゃないですか。

不買運動やって、経団連に参加してる企業の製品は一切買わないってことを、みんなでやりだしたら日本を変えること、できますかね? 日本の景気が悪くなるほど不買運動するってこたないけど、1割ぐらい売上減らして、代わりに経団連に加入してない企業の商品を買うって運動をしたら、結構強めのお灸になるんじゃないかな、って。

実際には経団連の参加企業って無茶苦茶多いから、これらの商品買えないなんて絶対無理だしそんなの不毛なことって思うけど、それだけ強大な枠組みであることの証明なんですよね。

例えば、AmazonみたいなECサイトを作って、そこでは経団連に属していない企業の商品しか買えないようにするっての、どうですかね。今の日本のやり方に気に入らないって思ったら、そのサイトで日々の消耗品を買うんですよ。どっか、物流会社を巻き込んだら、できなくもないような気がしませんか。そんなこと考えたら、どっかのベンチャー企業が、経団連に一度入ってすぐ抜けた、なんて話も思い出しました。

三十年前の俺達は、テレビと新聞と雑誌だけが「噂話じゃない情報」の全てだったじゃないですか。だけどインターネットの登場で「多くの人が口々に言う噂話の方が正しいんじゃないか」っていう判断基準が増えた。噂話が定量化できるようになってきたのかもしれません。でも「じゃあ行動を起こそう」って思っても、実際にはやっぱり三十年前と同じことしかできないんだな、っていう無力感はありますね。

だって、職場のメンツに、政治の話とかしたくないんですよ。自分に強い意見があったとしても、周囲を巻き込む為に熱弁をふるって、そんで仕事がしづらくなるのがいやなんです。自分の意見を、自分に都合よく表明する方法はないかな、なんて考えたのでした。

テレビ番組表雑誌にテレビ番組表がいらなくなった時代にテレビ番組表雑誌を創るなら

月刊テレビ誌「B.L.T.(ビー・エル・ティー)」がリニューアル! “番組表のない新型テレビ誌 ”が誕生!
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000006568.html
このニュースの見出しを読んで「えっ」と驚き、すぐさま「おお、そうか」と思い、その後「そりゃそうか」と思いました。そういわれると俺も、人生で最も買ってるテレビ番組表雑誌はB.L.T.だけど、番組表は全然見てなかったなぁ、テレビ番組を軸にした記事を読んでるだけだったなぁ、って思い直して。
番組表なんてなくても、最低でも一週間分はテレビもレコーダーも表示してくれますしね。新聞を広げてその紙面の広さという一覧性には価値があるかもしれないけど、雑誌のサイズだったら別に、って感じかもしれない。しかも、そもそも1か月先のテレビ番組のことを書かれても……って気持ちもあるし、そもそも1か月先の番組表、未定ばっかりで変更の可能性も高いしね。読んでもあまり意味がない気がするし、間違った情報が載ってたとしても目くじら立てる気にならない。この、「間違ってても目くじら立てる気にならない」って感覚は大きいような気がする。
そうなった時に、自分が何か広告を出稿するとして、その時の意識も少し違ってきたなぁ、と思い当る。写真いっぱいの特集記事だったら雑誌にって思うかもしれないけど、普通の紹介だったらネットに出稿した方が瞬間的な口コミが望める。しかも、雑誌の入稿タイミングじゃ、まだ決まってない情報が多過ぎるんだよね。確実に言えることが日程と場所ぐらいしかなかったりして、じゃあ詳しくはネットでいいや、なんてことにもなっちゃう。……ちょっとテレビ番組表から話が離れちゃったけど。
だとしたらさ、今、必要とされてるテレビ番組表雑誌って、1か月前の番組表を載せてる雑誌なんじゃないの? どんな番組でしたよ、誰かに伝えたくなるライフハック情報はこれでしたよ、視聴率はこんな感じで理由は多分コレですよ、この番組の出演者のこんな言動が話題になりましたね、だからこの一週間後のこの番組にこんな影響がありましたね……みたいな確認作業を集約させる雑誌。毎日毎日ネット上でダダ漏れして消えていくテレビ番組に対する反応を、編集長と編集者の意思をもって編集して記録する雑誌。1か月前の事実を後追いするだけじゃなく、それが結果的にこんな着地になったんです、って答えとして見せてくれる雑誌。
以上、そんなんあったら面白そうだけど、俺は雑誌編集とかまったく縁遠い世界の人間なのでテキトー書いちゃいました。本職の皆さんすみません。

選挙なんか行かない、って公言してる人へ贈る言葉

「自分が選挙なんて行ったって意味ない。だから行かない」って人、けっこういるよね。俺の想像する範囲ではぜんぜん意味なくないよ、と思うのでそれを言っておきたい。

選挙に行かないって言ってる理由もいろいろあると思うけどさ。

(1)だって自分が投票したって何も変わらないから

そもそも自分ひとりの行動で、世界が変わることなんてない。あなたが一人で変えられる世界は存在しない。影響もない。選挙にいって1票入れても世界は変わらない。断言できる。でも……よく考えたらそんなもの、どこにもないよね? 世界に影響を与えるようなこと、もともとできないよね、俺ら。だから「自分の影響させられる範囲が小さいから、モチベーションが上がらない」ってのは、今更言うまでもなくみんなに平等じゃん?(一票の格差問題を除く)。今更そこに文句を言っても仕方がないんだよ。別の方法提案できないでしょ? むしろ選挙が有効な国ってことを喜んだ方がいい。
ここで「一人が変わればみんなも変わる!」みたいな夢のある言葉を書いてもいいんだけど、あなたそういうのに感動して「なるほど、俺も変わろう!」とか言うタイプじゃないじゃない? でも「そもそもがそういうものじゃない」って言われたら、「ま、そうだけどね」ってわかってくれるかな、と思って。

(2)自分の限られたリソースを選挙なんかに割きたくない

これは(1)に近い理由かもしれない。「そんなことより、目の前の○○について本気になりたい」という気持ちはわかる。誰にでも優先順位はあるから、他人がどうこう言えるものじゃない。でも、優先順位を下げてもいいけど、無にする(投票しない)ことはないと思うんだよね。期日前投票を含めてタイミングを作る方法もあるしさ。そんなに手間じゃないんだよ、この後に書くけど。

(3)入れたい候補者がいない

それは俺自身もまさに今、直面している問題ではある。実際のところ、情報を受ければ受けるほど、あっちもダメ、こっちもダメという気持ちになってくる。だからさ、俺に関して言えば、その候補者がどんなこと言ってるか、どんな人か、信頼できそうか、って考えるのやめました。時間の無駄だもん。政党だけで評価することにしてします。だって、その人がどんなに素晴らしい言動をしていても、現状の政治だと、党議党略の多数決でしか進まないんだろうな、と思って。だから「まあ現状の日本で悪くない」と思ってる人は与党に投票すればいいし、「変わって欲しい」と思ってる人は野党に入れる、それでいいと思うんだよね。そもそもそんな単純じゃないものに対して単純な方法でしか参加できないんだから。
あと「どうせ入れるなら死に票に入れたくない」みたいなことを言う人もいるけど、まあ、「勝ち馬に投票してやっぱり勝った」ってところに盛り上がりたいなら、それは競馬とか競輪とかでやったらどうかなって思うんだよね……。その場で見返りもあるし。「どうせなら勝ち馬に」っていうのは、選挙の考え方とちょっとあわない気がしてます。

(4)選挙の仕組み自体に疑問がある

「だから行かない」ってのも論理の飛躍があると思うけどね。選挙って、どこに投票するか、投票したか、だけに価値があるわけじゃないってことは知って欲しいんだよね。どこに入れるか決める。自分が投票を決めた理由を自分で確認する。選挙の結果を知る。その選挙で決まった内閣が何をやるのか追っていく。自分が一度選挙に参加すると、その前後に繋がっていくんだよね。で、不謹慎かもしれないけど(いや、はっきり不謹慎だけど)、政治のニュースって面白いんだよ。もちろん俺なんかが知ったり判断したりできる範囲は物凄く限られてるけど、テレビのニュースで聞きかじった情報を、面白がって語ろうとしたら、ほかの分野と比較しても全然面白いと思うんだよね。選挙に行くと、その面白味が増すんです。……ま、実際には職場の仲間に語ったりはしないんだけど。

(5)日本がどうなろうとしったこっちゃない

選挙の話になった途端「どうせ何やってもダメでしょこんな国」みたいなこと言い出すタイプね。でも選挙の話題の時以外は、あーでもないこーでもないって文句言ってみたり、やっぱり○○は素晴らしいってほめてみたり、この国への愛情と執着たっぷりの発言してたりするんだよね。ま、俺もそういう発言してるタイミングで「ほら、この国好きなんじゃん、なんで選挙行かないの!?」と詰め寄ったりはしないんだけどね。「どうなろうとしったこっちゃない」は嘘だと思うんだよ。自分は良くても、国が間違った方向に行って、親や子供や恋人が酷い目に会うのはイヤなんでしょ? 自分の両手が届く範囲でしか、俺らは自分の好きな人を守れないわけで。誰かに頼らざるを得ないわけだからさ。俺ら、ずっとこの国に住んでくんだし。

 
結局、「選挙に行かない」って公言してる人ってさ、ほかにもそういう人がたくさんいるからそれを笠に着てそう言ってるだけで、実際には「よくわかんないんだもん」なだけなんだと思うのね。少なくとも、自分からニュースや報道バラエティにチャンネルあわせたり新聞読んだりして、「この国が今どんなふうに動いているのか」ってことに意識的になってる人の中に、「選挙に行かない」って公言してる人はいないんだよ。総理大臣がびっくりするようなことをやってたら、「ああ次の選挙では別の党に入れよう」と思うわけで。「よくわかんないんだもん」って言うのがイヤで、馬鹿にされるのがイヤで、突っ込まれるより先に大きめの声で「選挙なんて行かない!」って言ってるだけ、って気がしちゃうんだよね。

いや、別にそれならそれでもいいんだけどさ。「この人、頭がよくて好きなのに、なんでこんなこと言うんだろ」ってつい、思っちゃってさ。余計なお世話だけどさ。

今度の選挙、だまされたと思って行ってみてくれないかな。どこに投票してもいいけど、「今の日本、最高!」って思えてないなら、今の与党と、前回の与党以外の党に投票してほしい。あるいは、例えば争点を原発に絞って、このポリタスってサイトの記事http://politas.jp/articles/218を読んで、原子力発電に関する考え方で自分に一番近い党に入れるんでもいい。とにかく投票に行ってほしいんだ。

なんでかっていうと……こんなブログ読んでるあなたは、たぶん30代〜40代だと思うんだけどもね。年寄り以外が選挙に行くだけでがらっと結果が変わるって言われてるんだよね。俺さ、ぶっちゃけ次の選挙って、若い人がこぞってでかけて与党以外に投票したら、自民党とわけのわからない政党との連立政権になるようなことがあると思うんだよね。今と全然違う状況になる。そうなったらしめたもんなんだよ。いろんなことの議論が深まって、数人の年寄りが密室でどんどん決めちゃってたようなことが、いろいろ説明を要求されるようになってくるんだよ。それっていいことだよね?

「次回の選挙は争点がないから自民党大勝で決定」ってよく聞く話なんだけど、俺はひっくり返るチャンスもあると思うんだよ。これを読んでるあなたは絶対にバカじゃない。バカはこんな長文読めないからね。バカじゃないなら、選挙に行こうよ。そんでその前後を見守ろうよ。「俺関係ねーし」とか言って済まされる年齢でもないしさ。子供に真正面から選挙に行かないのか尋ねられた時に、そわそわすんのもイヤじゃない?

スマホの連絡先 写真コンプリートゲーム

スマホブラウザゲームでイラストが描かれたレアカード画像を集めるよりも、ずっと面白い遊びを見つけたので情報共有します。

スマホの連絡先 写真コンプリートゲーム」です。

androidスマホの場合、端末の電話帳は「連絡先」みたいなプリインアプリで管理されてますよね。そのひとつひとつの連絡先すべてに、写真を設定していくという遊びです。

いつもやりとりしている友人の連絡先にサクサク写真を指定していくのはまあ簡単です。つい15年前、我々はレンズ付きフィルムで写真を「たまーに」撮るのが普通だったのに、携帯電話にカメラがついてから、一気に友人の写真が増えました。つるんでる友人、職場の仲間の写真は簡単に埋まります。

仲間ってほどでもないけど同じ会社の人、あるいは取引先の人。自分のスマホに写真は保存されていないものの、なんやかんやで、パソコンの中には入ってたりします。androidスマホの「連絡先」はGmailの「連絡先」と簡単にリアルタイム同期させることができ、それが最も便利に使う方法です。パソコンの中の写真をドラッグアンドドロップするだけで簡単に指定できます。

いつもいつも会ってるわけじゃないけど心は通じてる友人、あるいは親戚。会社のパソコンには写真はありませんが、自宅のパソコンのハードディスクをひっくり返せば1枚ぐらいは出てくるものです。

それでも出てこなければfacebookです。自分が「友だち」申請してない相手でも、カバー写真の1枚ぐらいはすぐ見つかります。飲み会の写真を気安くアップロードする「友だち」がいれば、いとも簡単に芋づる式に見つかります。

ネットで出会った友人はGoogle検索して拾ってきたりします。あるいは更新頻度がゼロに近くなったmixiにログインして、「あん時のmixi日記にいい写真があっただろ……」なんて記憶を頼りに過去ログを掘ったりします。

この人の顔写真を手に入れるにはどうすればいいのか。気付けばものすごい集中力でその方法を模索しています。気分は完全にデジタルストーカー! GREEやモバゲーのゲームでガチャに課金するよりぜんぜん楽しい画像集めです。

画像を集めたらアルバムのよう見返して楽しみたいですよね。俺が知っている、最も画像を楽しめる電話帳アプリが「連絡先/電話帳+(Contacts Plus)」です。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.contapps.android&hl=ja

アドレス帳スマホアプリは他にもいろいろあるんですが、俺の知ってる限り、個人の写真を最も大きく表示してくれるのがこのアプリです。一覧の時もグリッドビューの写真サイズをBigに指定することで、1行に二人ずつ写真が並ぶので、ずらっと並んだ写真の中から「誰の写真をまだ持ってないか」を確認していくことができます。

「連絡先/電話帳+(Contacts Plus)」のいいところは、スマホ内でさらに写真を指定できることです。Gmailの連絡先の個人写真って、画像サイズがたったの96×96pixelで、せっかくスマホに大きく表示されてもジャギジャギになっちゃうんです。パソコンでGmail連絡先に大きな画像を放り込んでもダメ。ここが改善されたらもっともっと楽しいと思うんですが……。っていうかこの点がPicasaの顔認証と連動して、簡単に何枚でも写真指定できたらいいんですが……。「連絡先/電話帳+(Contacts Plus)」は画質の良い写真をスマホ上で指定できるので便利です。特に女性を中心に画質のいい写真をあてていきます(オッサンの写真はどうでもいい)。

飲み会とかで誰かの話が出て、誰だっけだとかどんな奴だっけとかなった時にも効力を発します。「連絡先/電話帳+(Contacts Plus)」で検索してさっと見せてやれば話が早い。その写真が選りすぐったちょっと面白い写真だったらなおのことです。

そう、写真選びも楽しいんですよ……。格好良く撮れてるのはこちらの写真なんだけど、この写真の方が絶対面白いって写真、あるんですよね。証明写真みたいな正面向きの写真じゃなくて、その人本人のエピソードが浮かんでくるような写真。やっぱりそういう写真を選びたい。

そうやってコンプリートに近づけていって、一覧の画面でずらっと並んだ写真を見て満足する、という単純な(そして根暗な)遊びです。あなたもヒマをこじらせているなら試してみませんか? 以上おしまい。

 

……でね、ついでの話ですけどね。以下蛇足ですけれどもね。

連絡先は持ってるけど、どうにもうにも写真が見つからない相手ってのは居るわけですよ。

どうしようかな、どうやったら写真手に入るかな……と考えてみて、どう考えても無理だな、と気づいたりするじゃないですか。そういう相手の連絡先は……削除しちゃってだいたいOKって気づきました! 今更こいつの写真が手に入ることもない。そんな希薄な関係の相手を、スマホの中に残しておく必要ありません。

俺、もともとは「万が一、こいつから突然連絡があった時にわからないのはイヤだから」という理由で、疎遠な相手の連絡先も消さずに残しておいたタイプなんです。今までは。でも、連絡先一覧でずらっと写真が並んでて「ほぼコンプリートだ〜」とか悦に入ってる時に写真がない連絡先があって、それが二度と会うこともないような相手だった場合、素直な気持ちで「消しちゃお。突然かかってきたら『……どなたですか?』から始めりゃいいんだ」って気になれるんです。これ、過去との決別が苦手な俺みたいな人間にとってすごくナイスな出来事でした。

さらに、全員の写真を指定していく為に自分のパソコンの写真フォルダを見返してるとね、あぁこの写真いいな、使おう……と思ったら俺、連絡先知らなかった! って相手、思いのほかたくさんいるんですね。LINEしか知らなかったり、twitterしか知らなかったり、何にも知らなかったり。「せっかくだし、次あった時に連絡先聞いてみよう」と思えるきっかけになったりします。

さらに言えば、電話番号もメールアドレスも空欄で、新規の連絡先カードを作っちゃうって手もあります。URL入力欄はあるわけですから、twitterだのfacebookだのを登録して、その上で写真が登録されてればそれだけで楽しくなります。

SNSのURLだけわかれば十分連絡先である、と決めた途端にまた一気に楽しくなります。自分の好きなアイドルや有名人の連絡先カードをスマホに収めることができるからです。「連絡先/電話帳+(Contacts Plus)」の場合、その人の誕生日になると教えてくれるので、365日ふわふわ楽しい気分が味わえます。バースデーメッセージなんて誰にも送らなくったっていいんです、自分がふわふわ楽しければ。

さらに言えば、ネット越しに俺について否定的なツイートをした人がいたら、そのツイートのURLを連絡先カードに登録しておくとたいへん便利です。いつかその人とチョクで対面することになったら、すぐさまそのツイートを呼び出して、場合によっちゃWebarchiveから呼び出して、その人に見せながら「あなた当時こんなこと言ってますけどこれってどういう意味ですか? 私がなぜあなたに見下され、馬鹿にされなければならないのかを今一度説明してもらえませんか?」と詰め寄ることができる。だいたい「直接会うこともないだろう」って高を括ってるからこそ吠えてくる人、多いですからね。直接会った時に「この発言だけどさ」って見せてやって、おんなじこと言えるのかを確認する。むしろ俺なんて、その日だけを楽しみにして生きてるようなもんです。生きる活力とでも言いましょうか。普段はよぼよぼの俺ですが、その瞬間のことを想像するだけで、腹の底から湧き上がるような命の力を感じることができます。相手と並んでがっしり肩を組んで、飲もうぜって引き寄せていく瞬間を思うと楽しみでしょうがないですね。

ああ、指先冷たくなるくらいに楽しみだな〜。ということで「スマホの連絡先 写真コンプリートゲーム」、オススメです。

あなたの街のインド料理屋さんの特徴を言い当てます

あなたが活動しているのが青山とか代官山とかみたいな超のつくオシャレな街だったら当てはまらないかも。あなたがフツーの街に住んでいたり、フツーの街の職場で働いているなら、月に1〜2回ランチで利用するインド料理屋さん、こんな感じのお店なんじゃないかしら。

  • ランチセットはA〜D等の3、4段階あって、あなたは750円〜850円のセットを頼んでいます。
  • 同じセットの中でも選択の幅が広くて、あなたは「サグカレーのBセット、辛さは中辛、ナンで、飲み物はラッシー」とか注文しています。
  • ナンはおかわりし放題。テーブルに届くナンはまさに焼きたてで、あなたは手でちぎる際に「熱い! 熱い!」と笑っています。
  • テーブルには透明ビニールのクロスがかかっていて、その下にメニューが挟まってたりします。
  • 店頭には黒板またはホワイトボードがあって、日本語で日替わりメニューが書かれていますが、一部のひらがながカタカナになってたりします。
  • インド出身と思わしき厨房の人が、午前中に最寄り駅のそばでチラシを配っていたりします。
  • で、その方は実はインド人でなくネパール人だったりします。

どうですか? そんな感じのインド料理屋さん、ありませんか?

想像ですけど、たぶん助け合いの組合みたいなものがあると思うんですよ。インドまたはその隣国の方々の。彼らが日本で働きやすい飲食店を各地に作れるように支援しているんじゃないかと。インド料理屋を運営する際の必勝パターンを教えてくれる。

このパターンのインド料理屋さん、どこもチラシのパターンが似た感じでね。各お店用にデザインしてるのが、その組合の中のデザイナーさんなんじゃないかな、と。1〜2文字だけ日本語の誤植があったりしてね。

チラシとかホワイトボードの日本語間違いは、むしろわざとやってるんじゃないかとか邪推してます。「こうやってちょっと日本語間違ってた方が、twitterに投稿されたりして話題が提供しやすいんだ」的なことを狙って。日本人そういうの好きですからね。

以上、共通点の多いインド料理屋をたまたまいくつか知ってたので、想像で書いてみました。ありませんか? こんな感じのお店。あなたの街にも。

結構いいですよね? 俺、好きナンです。

「鍵をなくした夜、セックスなしで側にいてくれるオトコ何人いる? Vol.10」ってエントリを読んだ感想

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140611-00002149-gentosha-ent
もちろん俺もご多分にもれず「何言ってやがるんだこの女」と思ったんだけど。最大の感想はそこで間違いないんだけどもさ。

コメント欄読んだら同じ「何言ってやがるんだこの女」スタンスの書き込みしかなくってすーっと気持ちがひいちゃったんだよね。しかも年齢とか過去の職業とかを否定する書き込みもあって、そこでまた引いてしまうという。そういうのを匿名で書き捨ててることをうっかり身内に知られたりしようもんなら無茶苦茶恥ずかしいわけで、何が起きるかわかんないこの世の中で自制する気持ちはなかったのか、それを超えるほどに腹が立ったのかあなたは、と思ってしまうぐらいに。

っていうか、タイトルの時点で出オチみたいなエントリじゃん? 2014年のこの世の中にこのタイトルでこのエントリを上梓する時点で、ちゃんと読者の期待を背負って、しかも満額その期待に応えてる、って言えると思うんだよね。だって誰もがこのタイトルの時点で「何言ってやがるんだこの女」って突っ込んでやろうって、突っ込む気まんまんで読み始めたはずなんだから。

さらにコメント欄で気になったのは「長い、長すぎる」って書き込みの多さね。俺は「何言ってやがるんだこの女」って思いながらも、一気に最後まで読んだけどね、そりゃツイッターよりは、まとめブログの強調文字だけ拾って読むよりは長いけど、この程度読めないのかあなたは、って思ってしまった。

ついでに言えば「結局何が言いたいのか」みたいな物言いも、まあそりゃそうなんだけど、それにしたって多過ぎる。「結局何が言いたいのか」なんて何一つ存在しない娯楽作品、たくさんあったじゃないですか。名前出したら一緒にするなって怒られちゃうけど、女流作家の、こういう価値観の女性の生きざまを切り取って封じ込めましたみたいな作品、90年代にいっぱいあったじゃないですか。このタイトルそのままの時代に、そういうのたくさん読んで……ないのか、コメント欄にコメントしてる人たちは。

「これで金とってんのか」って書き込みも多かったけど、あなたたちスマホで読む文章にお金払う習慣ゼロでしょ。ゼロ以下でしょ。金払ってるのは執筆依頼者であってあなたじゃないでしょ。それともあなたは「我慢して広告バナー見てやってんだからちゃんとした文章書け」とか言うつもりなの、と……。「自分はタダで読む。お前は有料のクオリティで書け」って、現在の世の中のセオリーがそうだったとして、わざわざ口に出して言う? 言えるほど立派な発言かい、それ。

いずれにせよ、自分以外に同じような「何言ってやがるんだ」コメントがずらーっと並んでる時点で書き込むのよせよ、と思いますけど……ほとんどの人がそれでやめて、それでも気分悪すぎて黙って立ち去ることがどうにもできなくて、そんで書き込んだ人がこの数なのかもな……。でもこれ読んだら書いた人ちょっと凹んじゃうんじゃないかしら。それが「ここまでひどく言われたくない」なのか「どうしてこれが創作ってわかんないの、あんたタイトルに釣られて読み始めたんじゃないの」なのかわからないけど。

むしろ、工藤静香の名曲を引用しているところに、31才って設定が創作だったりしてね……。いや、いいですけどもね。

あと、自分に関して言えば、実際にそんなことは無さそうだからって前提においての思考実験上の考え方としては「電話の時点で泊めてやるけどエッチはさせて欲しいと明言する派」ですけどもね。やっぱりクズですかね。