MOK Radio第68回の思い出(人が発信できるものの総量の話)

MOK Radio 第68回が、津田大介さん著の「Twitter社会論」発売を記念して昨日急遽行なわれました。
http://www.musicmachine.jp/sp/radio.html
配信環境として初のUSTREAMの設定がうまく行かず1時間押し、内容もいつもにましてグダグダという、我ながら泣けちゃうくらいに酷い結果になりました。かかる曲だけはタクヤさんが一件一件許諾を取ってきてくれたおかげで、むちゃくちゃ格好良いものばかりでしかも合法ということで十分自信があるのですが、それをあのトークに挟んじゃうってのが申し訳ないというか……。もちろん「生放送(生配信)の魔法」「深夜の魔法」ってのがありますから、午前3時まで聞いてくださった皆さんはきっとそれなりに楽しんでくださった、と思ってます。
午前4時くらいですか、スタジオに遊びにいらしていた「はてなテレビの土踏まず」のid:tvhumazuことピエールさんをゲストトークに招いたんですね。「Twitter社会論」発売記念ということでピエールさんにもTwitterの話を振ったんです。というのもピエールさんがpipipipieruとしてTwitterを始めた後、ツイートが充実するのに比例してブログの更新頻度が下がっているようにお見受けしておりまして。ピエールさんにとってTwitterでの表現は……ってトークをしようと水を向けた矢先、我々パーソナリティが囲んでいる、ミキサーやマイクなどのラジオ用の機材やノートPC、飲み物や食べ物が置かれた円形テーブルの上に、ふらりと席をはずしていたタクヤさんがダイブしてくるというまさかの捨て身の攻撃があったため、あえなく中断となってしまったのでした。ネットラジオの生配信中に機材の上にパーソナリティ自らがダイブってのは、世界広しといえどもなかなかない状況じゃないかな、と思いますが……。そのまま番組のテンションは尻すぼみになって終了したわけですが、その時積み残しちゃったトークについてどうしても言いたいのでここに書きます!
人が発信できるものの総量って決まってるって思うんです。例えば最近Twitterを始めたタレント伊集院光さんだったら化け物クラスの埋蔵量があるし、俺みたいな凡人だったらTwitterで色々書いたらブログやらmixi日記やらに書くことなんて無くなっちゃうんです。書くこともないし、詳しく掘り下げて書きたい欲求もなくなってしまう。納得というか、済ませた気持ちになっちゃうんですね。俺もブログで書きたいことをまとまらない状態でTwittermixi日記に断片的に書くことがあるんですが、それこそ単語の羅列だけでも、文字にして発表してしまうと変に納得してしまって、改めてちゃんと着地させたエントリーにまとめる気持ちがなくなっちゃうんですね。……俺だけじゃない、と思うんですが。
俺、自分で書いた文章を過去ログとしてインターネット上に残していくってことを、とてもエキサイティングなものと感じているんですね。同じ内容だとしても、どうせならひとつの方向に向かっていって着地するエントリーってやつにちゃんとまとめたい。Twitterで流れていって、友人のタイムラインを横切っていくものはつぶやきとして割り切って、もうちょっとちゃんと表現したいことは過去ログとして積み上げて行きたい。できるなら誰かの検索結果として見つけてもらって、前後の文脈から分断されない状態で読んでもらって、面白いエントリーにぶつかったって思ってもらいたいんです。Twitterの使い方は人によってもちろん自由なんですが、俺はそういう使い方を選択することで、量に限度のある「自分に発信できる表現」をコントロールしてる……つもりなんですね。
そんなことを考えていて、Twitterのようなライフログってやつとの付き合い方を考えていて、ピエールさんはどんな風に考えているかしら、ということを尋ねたかったんです。ま、実際にはそのへんについて、既にまとめてくださってるんですけどね!
まあそんなこんなのMOK Radioでした。聞いてくれたあなたと数時間、おんなじ時代を共有できたことが嬉しかったです。生放送の魔法、ってやつです!
Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)