好きな曲を出発点にして音楽に詳しくなれるのは絶対楽しい

このインタビュー記事が最高に面白かった。
http://www.cdjournal.com/main/special/song_of_the_heroines/645/4
俺の好きなアイドル楽曲の「種明かし」みたいなことがたくさん書いてあって鼻息荒くして読んでしまった。

結局歌謡曲って「既存の音楽に対するリスペクト」でしかないのかな? それって結局「焼きなおし」でしかない? やってることは「パクリ」と一緒? 新しいものを作った人だけが正義なの? いやリスペクトとリスペクトがぶつかる化学反応で既存を超える新しいものが生まれるんだ!(たぶん) だとしたらやっぱり、いい音楽をたくさん知っていたほうがいい音楽を作れる可能性が高まるってことだ……。

本当に音楽自体の知識がなくて悲しくなる。出先のお店のBGMで黒人音楽の有名な曲がかかると「俺の好きなアイドルの曲みたいでかっこいい! もっと聴きたい!」と思っちゃうことがしばしばある。いい音楽が流れてるのにそれは頭上を素通りしてるだけ……みたいな日々だけど、ちゃんと捕まえて、ちゃんと向き合って生きてくみたいな人生だったら今と違っていたかしら?

有名な音楽CDを知らないという意味だけじゃなくて、音楽理論みたいなことも全くわからない。子供の頃ピアノでも習ってれば少しは理解できたのかな? あるいは今から習っても身につくのかしら。今まで出会った自分の好きな楽曲が、音楽理論に詳しい友人に「あれはこういう部分でこんな面白いことをしてるのが凄い」とかって聴くと興奮する。なんだか自分の選択が正しかったみたいな、裏付けをもらったような気分になる。

前にMOK Radioで、タクヤさんが自分の若い頃やってたバンド「ルノアール」の音源を流してた時、唐木さんが「この曲の何が凄いってベースがずっと間違ってるんだよね」みたいなことをおっしゃってたのが面白かった。タクヤさんは「間違ってるって何だよ? これ俺が作ったオリジナルの曲なのに!」とかわぁわぁゆってたんだけど俺もそう思った。自分が作った曲なのに間違ってるって何? ラジオ聴いてるリスナーさんの反応も「そうそう」「コードが○×……」とか言ってて。俺はいまだに何が間違ってたのか(何がセオリーどおりじゃなかったのか)わからないけども、たぶん音楽理論的なものが備わってたら違和感があるってことなんだろう。唐木さんがすごく格好よかったし憧れたよね。

冒頭のインタビューの話に戻るけど、記事をわかりやすく説明する為にYouTubeの埋め込みリンクがあるわけですよ。これをセットで観るのが楽しい。雑誌じゃできない、まさにインターネット的な楽しみ方じゃないですか。でもこの記事読んでもわからない言葉はいっぱい出てくるわけですよ。もっと贅沢言わせてもらえるなら、もしもこの記事の右側5分の1くらいが脚注エリアで、例えば記事本文に「ニュー・ジャック・スウィング」って言葉が出てきたところの真横にニュー・ジャック・スウィングの説明があって、まさにこれがニュー・ジャック・スウィングの代表曲だよねって紹介があって、さらには何がどうなってたらそれはだいたいニュー・ジャック・スウィングを取り入れてる証拠で、「このサビのこの楽器のシャララ〜の部分がまさにニュー・ジャック・スウィングの特徴です」とか書いてあって、その顕著な例が日本でもヒットしたこの歌謡曲です……みたいなことになってたら、もう、最高に面白いと思うんですよね。超読みたい。

いや、気になるキーワードをいちいちGoogle検索して自分でつきつめていけばいいんでしょうけど、リンク先の記事をクリックすることが正しいのか、俺には判断がつかないんですもの。このインタビュー記事から移動せずに、このインタビュー記事を書いてくださった方にそこまで教えてもらえるなら、読み終えた後に「記事で満足したらクリックしてください(クレジットカード決済で100円投げ銭できます)」ってボタンがあったら迷わずに押すよね。絶対満足できるもん。

なんてことを考えちゃうくらい面白い記事でした。っていうか俺が平田祥一郎好き過ぎなだけか? いや、1個前の松井覚の記事もむっちゃくちゃ面白かったもんなぁ……。