誰かが発信していたとしても

Q. 過去、Twitterやブログで面白いことを発信してくれていた人が、最近なんだかつまらなくなってしまいました。極端なことばかりつぶやくようになってしまいました。なぜでしょうか。解決策はあるでしょうか。

 

A. わかります。私の周囲には幸い、そう思い当たる友人はいないのですが、そうなることもあるだろうな、ということは容易に想像できます。

つまらなくなった、なぜか。その答え、実は「全部インターネットのせい」なんです。

面白いことを発信してくれなくなったその方本人は、まったく変わらず、面白いことを日々思いついているんです。発信自体に飽きている部分もありますから昔みたいに「思いついたら何でもすぐ発信!」とまではいかないですが、友人やフォロワーに対するサービス精神がなくなったわけではないので、今も当時と変わらぬ切れ味するどい面白いことを発信したいと思っています。でも、思いついても直前でやめてしまう。なぜか。

自分が思いついて発信してみようかと思ったことを、すでに誰か発信してるかもしれないと思って一応検索してしまうんです。すると、これだけネット人口(≒Twitterユーザー)が増えてしまうと、やっぱり同じことを思いついて先に発信している人がいるんです。さすがに何千万といるユーザーの中で思いつき一番乗りは難しい。で、「そうだよな、誰か思いついてたよな、発信済だよな」と思って、発信をやめてしまうんです。これが「面白い発信が減ってしまったこと」の理由です。
その上で、いいねRTのつきやすい「極端なこと」は切れ味するどい短文ではない、140文字めいっぱいまで使った尖った内容であることが多いので、全く同じ文章を書いている人がいるわけもなく、そのまま発信されるわけです。これで偏ってしまうんですね。

解決策ですが……。まず読み手側の解決策は、残念ながらありません。そもそも他人の発信を無料コンテンツとして消費しているだけの立場ですので、悲しいですが甘んじて受け入れるか目をそらすしかありません。ほかにできることは祈ることだけです。

書き手側としての解決策は、なくはありません。まず、友人やフォロワーに対するサービス精神を思い出して「自分が世界で最初じゃなくても、手垢がついていようとも、面白いと思ったことは発信しよう」という気持ちになることです。小沢健二が歌った「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんな馬鹿な過ちはしないのさ」を部分的にでも適用するのです。

その上で……たとえば「#同じことを誰かが言ってるかどうか検索せずに発信する」というハッシュタグを流行させるのはどうでしょうか。実際には検索してみていいし、検索の結果誰も言ってなかったとしてもあえてこのタグをつけてつぶやくということを続けるのもよいと思います。

以上、面白い発信=切れ味するどい短文、と決めつけちゃいましたけども、質問の返答になっておりましたら幸いです。