あがる/さがる

「(気分が)あがる」「(テンションが)さがる」みたいな言葉が使われ始めて定着するにつれ、若者の気分がデジタル的に本人認識されつつあるんじゃないか。
今まで、気分なんてそれこそ意味のわからない存在で、機嫌が良かったり悪かったりというのもその瞬間なんとなくそこにあるだけって存在だったのに、「あがる/さがる」なんて言葉が使われ始めたおかげで、0か1かを自分で文章化させてわざわざ定着させるようになっちゃったんじゃないか、と思ったの。ぼんやり気分が悪いだけだったものが、自分で「あー、さがった」と認識した途端に、わざわざ「あがる」ように仕向けなきゃいけなくなった、みたいな。
言葉ってのは怖いよね。言葉にした途端、その霊力に人は縛られるものだからさ。