「#検察庁法改正案に抗議します」の件で少し遠ざかった話

ハッシュタグを見かけてツイートした

 先日「#検察庁法改正案に抗議します」っていうハッシュタグを見つけたんです。早ければ数日後に強行採決されるって書いてあって。経緯はニュースで見てなんとなく知ってたし、このタイミングで強行採決、法律の私物化は絶対良くないと思ったから、俺もそのハッシュタグつけてツイートしたんですよね。

 タイムライン見ているといつもあまり政治の発言をしない人も同じようにハッシュタグ付けてて。しばらくすると芸能人や有名人も同じハッシュタグ付けて投稿してて。「珍しいことだけど、その理由はなんとなくわかる」と思ってたんですけど……その共感はまったく勘違いだったのかもしれない、という話を書きます。

このハッシュタグの良かったところ

 そもそも俺は、政治関連のハッシュタグを付けてツイートすることはほとんどないんです。理由は簡単で「その通り! 同意! 俺も俺も」と思わないから、なんですけど。
 ハッシュタグって同じ意見を持つ人の発信を束ねる時に有効な機能だと思うんですね。逆の使い方をする人もいるけど、それは意地悪な使い方だと思うから。ハッシュタグ経由で自分の一言も見てもらいたい、ハッシュタグで束ねた人たちの意見に自分の一言が合流しても不本意じゃない、そんな時に使うと便利なものだと思ってます。

 で、この「#検察庁法改正案に抗議します」ってハッシュタグのいいところは、「この法案の(十分審議されない状態での強行採決に)反対します」っていう、ピンポイントなところだったんですね。そりゃ反対だ。だって私物化だもの。それはダメでしょ! と思う。それはつまり、右でも左でもない自分にも発信しやすい、というメリットがありました。これを発信することによって「あいつはどっちなのだ」と思われなくて済むと思いました。法律の私物化はダメ。これは政治信条に関係ない。

 俺は元々、できることならば「政策を憎んで政治家を憎まず」というスタンスでやれないかと考えている甘っちょろい人間です。覚せい剤で捕まったミュージシャンの事件を聴いても彼の作った作品や思い出はまったく色褪せない。それと同じように、今やっている政治がダメダメでも、政治家を憎しみをこめて呪いの言葉をぶつけるんじゃなくて、ダメな政策を否定しながら、任期の途中の政治家に正しく仕事をしてもらいたい……という甘えた考え方の持ち主です。それがダメなんだろうな、とわかってるんですけどね(政治家は公人ですから)。

 でも今、俺のTwitterのタイムラインには、いわゆるネトウヨと呼ばれる人たちがいわゆる反アベと呼ばれる人たちを罵り、いわゆる反アベと呼ばれる人たちがいわゆるネトウヨと呼ばれる人たちを罵る、そんなハッシュタグ付きツイートがちょうど半々ぐらいに流れてきます。口汚く罵っているツイートを見て、少し考えて、ああアイドルちゃんの好きな楽曲の話の方が楽しいやなんつって目をそらす、なんてことばかり毎日しています。

でもそれは勘違いでした

 今回自分がハッシュタグをつけたのも、これは右でも左でもないし、罵るような、個人を否定するようなタグではないから気持ちよく付けられた。自分の一声が大きなうねりの一部になって、それで強行採決が見送られたらこんなに素敵なことは無いな、と思いました。
 そして、俺と同じように考えた人が多かったからこそ、今回のようにたくさんのハッシュタグ付きツイートが集まったんだろう、と思いました。そりゃあSTAY HOMEで暇だったからということも多分にあったと思いますけど、やっぱり右でも左でもない、罵りの言葉でも個人否定でもないところがたくさん集まった理由だろう、と思いました。

 でも違っていたようです。自分の信頼している何人かのフォロワーさんが言ってたんです。結局は「もともと私は反アベである、今の政治は許せない、アベはやめろ!」と思っている人たちが多数いて、それが集まっただけなんだ、と。今回はあまりにもフォローのしようがなくて、ネトウヨと呼ばれている人たちが反対しようがなかっただけなんだ、と。
 その後同じハッシュタグはいつも反アベ的ツイートをしているフォロワーさんによっても繰り返されて、セットで「#安倍は辞めろ」のようなハッシュタグとセットで発信されるようになって、ああ、そうだったのか、俺の勘違いだったと納得して現在に至ります。

芸能人さんと政治的発言

 その後「#検察庁法改正案に抗議します」を付けてツイートした芸能人さんが次々に謝罪をすることになりました。

 ちなみに俺は、芸能人さんが政治的なツイートをすることについては「どちらかというと反対」というスタンスです。それは芸能人さんの知名度が、本人ひとりだけが頑張って作ったものではないからです。芸能人だってひとりの人間。どんなことを発言したってかまいません。でも、芸能人として出しているアカウントを使わず、匿名の一個人として発言することだってできる環境、あるじゃないですか。
 芸能人にはスポンサーがついている。スポンサー企業の背景にはいろんな政治的なしがらみがたくさんあるのは紛れもない事実です。そういった背景に「うちの子はうまくやりますからスポンサー料ください」っていうビジネスで成立している仕事、それを周囲のスタッフが汗水たらして頑張ってるビジネスなのだから、配慮は当然必要です。裏アカウントで、完全な個人として、知り合いにだけ発言すれば済むこと、と割り切るべき……というのが自分のスタンスです。

 でも「#検察庁法改正案に抗議します」ってハッシュタグは、そんな芸能人さんたちにも発信できる、中立でまっとうなタグだと思ったんだけどなぁ。だってイデオロギーに関係なく、議論の足りない不完全な法案の強行採決を反対する、という一点に集約されてるんですから。だから俺は「政治的な発言はどちらかというと反対」というスタンスだけど、このハッシュタグだけはセーフ、と思っていました。でも違いました。

 今回のことで「芸能人だって政治的な発言をしたっていいんだ! ひとりの人間なんだから!」と歓迎するツイートを複数見かけたんですが、今回のことで今後、芸能人さんが政治的な発言をすることは減ると思います。その理由は「右でも左でもない、中立なスタンスでの政治的な発言なんて無理」だから。あるいは「中立な発言だったものも必ずどちらかに寄せられてしまう」から。

サラリーマンである自分に置き換える

 いわゆる反アベの人たちは、ずっとイライラしてると思うんですよね。こんなクソみたいな政治が続いているのに、安倍は辞めろと言わず、内閣へ非難を表明せず、のほほんとくだらないことばかりツイートしてる人たちばかりだということを。こいつらアホだ、愚民だ、日本という国は衆愚のるつぼだ、と思っているかもしれません。自分で考えれば考えるほどに今の政治が腐っているという事実に整合性が増してしまう。周囲からの情報も取り入れつつ自分の頭で考えてみた結果、いろんなルートを辿ってみてもやっぱり「安倍が悪い」という結論にたどり着いてしまう。にもかかわらず皆が皆、同じような結論にたどり着いているように見えない。馬鹿なのか? 気づかないのか? どう考えてもダメでしょ今の状況では! 発言しろよ、安倍を否定しろよ! そう思っているのかもしれません。

 自分もそう思っている時代もありました。でもサラリーマンになって少しずつ人を使う側に近づいてきて、自分のたどりついた整合性、こうあるべきだという理想、ビジョンに共鳴してそれぞれが自分の矜持を胸に誠実にアウトプットを追求する……みたいなことだけでは会社は動かないな、と感じるようになってみると、政治に対する怒りみたいなことにも距離が置けるようになった、ような気がします。

 企業の中でペーペーとして働き始めて、これはいくらなんでもおかしいぞ、仕組みを変えよう、方向性を変えよう、と思った時。経営層をクズだと罵っても、「あいつらバカだよね? お前もそう思うだろ?」と周囲に言って回っても、何も変わらなかったよなぁ、と感じています。「(今は違うけど)本来はこうあるべき」という意思をブレさせないで持ちながら、自分のやれる範囲で結果を出して信頼を築いて、管理職に近づいていって少しずつ思ったとおりの結果にする。周囲につきつけるアウトプットは、自分の信条自体ではなく、相手の信条にかかわらず否定できない「あるべき姿の施策」。それを積み上げていくことが「自分が思ったように会社を変える」ということでした。まあ、大した結果、出せてないですけどね。

遠ざかったと思います

 今回のハッシュタグの件で、ひとつひとつの小さな積み上げで少しずつ政治を変える、といういい結果が出るんじゃないかと思ったんですけど、ダメでしたね。これで今回、強行採決が避けられたとしても、ハッシュタグに参加した「ピンポイントであれば中立な立場で政治的な賛成/反対を表明したい」という人たちは少し遠ざかったと思います。なんか巻き込まれちゃうから。

 やっぱり選挙しかないんですかね。難しいですね。自分は引き続き、いろいろ考えていきたいです。