「『あまえる』ということについて」を読んで、を読んで

http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070515/p1
はてなブックマーク人気エントリーを見る機会があって(いつもは見てない)、その時見つけた文章。途中から斜め読みなんだけど。引用されてる小学生の文章がすごいのね。もう、ナルホド100連発の頭が下がる精緻な分析。
で、このエントリについたはてなブックマークコメント一覧がこちら。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/〜
ほとんど誰も「この引用文章を書いたのが本当に小学2年生である」ということを疑ってないのね。俺なんてまず「こりゃ小学生には無理だ」って思ったから。
たとえ原稿用紙に鉛筆直筆で書かれた作文が公のコンクールで審査され受賞した、みたいな実績があったとしても、これは子供の文章じゃない。書いたのが小学2年生だとしたらその子の中身は小学2年生じゃない。子供って……子供の中の時間ってもっと飛ぶように過ぎていくものだと思うんだ。大人の毎日に比べて毎日が発見の、新しい刺激の連続のはずだから(大人と比べて、ね)。だからこの小学2年生みたいに落ち着いて立ち止まったり、見直したり、見直した結果を言葉に置き換えたり、それを読み返して今後の自分に生かしたり、そういう暇はないものだと思うんだよね。そういうのは大人のやることだし、子供の中であったとしてもそれはそこに文章を介在しない……ものだと思うんです。だからこの小学生が凄いんじゃなくてこの人が凄い。
俺が気になったのは、ほとんどの人が特にこれが「小学生の文章のわけがない」と思ってないってこと。俺はこの引用された文章の中身をナルホドまさにその通りと感心して感動するけれども、驚愕ってのとは別だ。
そしてこういうありがたい文章が、小学生が書いたというレッテルがないとなかなかこんな風には世の中に広まらない、ってことも感じたかな。命の尊さや家族愛を思い返すために高校生による凄惨な事件がきっかけになる、なんてちっとも思わないけれども、こういう発信者と発信物との関係の落差、意外性がないと、なかなか注目されないものなんだなぁとは思いました。