ルー大柴の思い出

皆さんがルー大柴を認知したのはいつでしょう。「笑っていいとも」かもしれないし「浅草橋ヤング洋品店」かもしれない。俺の場合はラジオだったのね。
俺が中学生だったころ、小堺一機関根勤がパーソナリティーを担当する「コサキン無理矢理100%」ってラジオ番組があったのね。ラジオなのに写真ネタを取り上げる風習があって、いかに面白い見た目かを言葉で説明するってのを良くやってたの。ある時カタログだか雑誌を見て「このバタ臭い顔のモデルが、変なポーチを腰につけてて可笑しい」みたいな感じの盛り上がりがあってね。そのモデルがルー大柴だったんだよね。しばらくしてラジオのスタジオに呼ばれてしゃべって、ちょいちょい出るようになって。俺は写真ネタによって発掘された新人のように思ってたんだけど、変なポーチをつけてモデルをやってた頃には既に浅井企画に属してたのかもしれないね。
しばらくして関根勤座長公演「カンコンキンシアター」に振付師のラッキィ池田なんかとともに出演するようになって現在に至る(あいだ飛ばしすぎ!)。
初めてルー大柴を見た時俺は「これがポーチの人か、なるほど自信まんまんの変な立ち姿で写真に写りそうだ」って思ったんだよね。そんなこと思ったの、あのラジオのリスナーだけだっただろうなぁ。


……おっそろしいほどどうでもいい話ですねこれ。