なぜブログを書くのか

ブロガーサミット2013で登壇者に対して「あなたにとってブログとは何か」という質問が何度も繰り返されたんですが、俺と同じように考えている人がいなかったので意外に思ったんですね。ブログに関わること自体をマネタイズしている人ばかりだからかもしれません。

「あなたにとってブログとは何か」という質問は、ブロガーに対して向けた場合「なぜブログを書くのか」とほぼ同義になると思うので、「なぜブログを書くのか」という点について書きます。

もちろん、登壇者からも出ていたように承認欲求はあります。コミュニケーションツールとしても重用されていると思います。でも俺にとって「なぜブログを書くのか」の答えは「インターネット上にアーカイブすることに価値があるから」です。ものすごく極端な言い方をすれば、「いいエントリを書くことで、歴史を自分の思ったものに引き寄せたいから」です。

そのキーワードでGoogle検索した時には、自分の書いた文章に行き当たる。これが大事なんですよね。Googleをひとつの辞書として、その一部分を自分が作っているイメージ。「そのキーワードで検索しても何も出てこなかったらイヤだな」と思う事柄については、自分で書いてちゃんと置いておきたい。

これってWikipediaの編集に参加するのと同じように見えて全然違う。だって書いてある内容はあくまで俺・俺・俺の、承認欲求丸出しの文章なんですから。でもそれでもかまわない。読む側も「これは中立な視点を目標に書かれたWikipediaではなく、個人ブログのエントリである」ということがわかっているから。Wikipediaに載ってるのは事実のみで、感情、ノリと勢い、そうなっちゃったくどくどとした言い訳みたいなものは載らないのです。

事実を書く。自分の感想、意見もあわせて書く。その事実を知りたいと思った人が検索してたどり着いたエントリを読んで自分の考えを知る。熱量を感じる。これを積み上げていくことって「歴史を自分の思ったものに引き寄せる行為」だと思いませんか? 少なくとも、検索して何もヒットしなかった時よりも。

検索して出てきたエントリを読む時、それを書いてる人が俺(実験40号)であるかどうかってどうでもいいじゃないですか。「この人どんな文章書いてるんだろう(もっと知りたい)」なんて思うこと本当に皆無。「書いてる人」を軸にして興味を持たれるなんて、有名人以外にはありえないことなんですよね。

「書いてる自分」を軸にして考えちゃうと、もっと有名になりたいとか、更新するたびにすぐ見てもらって反応が欲しいとか考え過ぎちゃうわけです。でもGoogleって辞書の一部分を作ってるつもりになったらそういう欲求もちょっとは落ち着くものなんですよね。

自分の書いたものをインターネット上にアーカイブするということは、自分という本体から切り離して、バラバラに切り刻んで放流するみたいなものです。その欠片に出会って、「書いてる人」にたどり着いてくれる人なんてごく少数。でも人と人との出会いって、そのぐらいの頻度が限界なのかも、なんて思うんですよね。

感じたことを推敲せずにただ放流するならtwitterだのLINEだのでやるのが向いていると思います。そういう場が揃った今だからこそ、ブログのエントリを「後から検索した時にたどり着いてもらえるページ」として考えるって視点は、わりと重要なんじゃないかなーと思うんです。

これからも歴史が積みあがっていくにあたって、過去を紐解く際に「検索してみる」という選択肢があり続けるなら、ブログのエントリをアーカイブしていくことは、人間らしく誇り高く明日をこっちのペースに巻き込むことに繋がるんじゃないかと思ってます。